この軕は、別名、御払軕とも市軕ともいい、本町、中町、新町の三町内が毎年交代で曳き、常に行列の先頭を行く。「大黒軕」「恵比須軕」と同じく、藩主とだ氏西公から下賜されたものである。
人形神楽としては、全国的にも珍しいもので、350年ほどの歴史を持つ貴重な文化財であり、躍りを舞う二体の人形は、巫女と山伏のニ体からなっており、舞台の下から人が直接棒で操る大変珍しいものである。巫女は鈴を鳴らしながら、静香に祈祷や清めの舞を行い、山伏が両手に熊笹を持ち、湯桶の湯ノ花を撒き散らして、湯立ての清めを行う。このときに湯ノ花を撒き散らす紙ふぶきは清めや病魔退散の意味があるとされている。
人形の巫女の名は昔、大垣の八幡神社に市とよばれる美しい巫女がいたことから市と呼ばれている。また、山伏はお囃子の際、急テンポに変わると登場し、その調子がチャーチャーと聞こえることから、チャーチャーと呼ばれている。
延宝7年(1679)戸田氏西公が恵比須神を祭るにあたって、摂津の広田神社に祭られている西宮の蛭子神に人を派遣して祈願したと言われている。戸田家は深く恵比須神を崇拝しており、西宮の恵比寿神社の縁起によると、元和以来、尼崎城主戸田氏鉄より毎年米三十石を寄進されたとある。
恵比須大神は、左甚五郎作と伝えられ、顔面の塗料が剥げていたので塗師が塗り替えようと顔面に手を触れたとたん、口から火を吹いたと云われている。本楽の夜、夜の行事が全て終了後、各町の軕が曳きわかれした後に、その年の恵比須軕責任町から、次の年の責任町に恵比須神のお頭を渡す儀式(お頭渡し)が古来と同じ手順で今でも行われている。
また、祭礼に雨が降ると恵比須さまが鼻をたらすという伝説も残っています。
この山車は、船町・伝馬町・岐阜町・宮町の4町内が年々交代で曳いている。
この軕は、「神楽軕」「恵比須軕」と同じく、藩主戸田氏西公から下賜されたものである。軕の上部には、米俵2俵を置き、その上には、右手に小槌をもち、左肩に稲袋をにない、ふくよかな笑みをたたえ、七福神のひとつと教えられている福の神の大黒天を乗せており、運慶の作といわれている。